ブログは日本語教師の歩く鏡である

「授業の質は上げる」「仕事の量は減らす」「両方」やらなくっちゃあならないってのが「教師」のつらいところだな 覚悟はいいか?オレはできてる

日本語教師ボランティアは、収入を得るべきか

 おはようございます。日本語教師ブロガーのNicky(@jpt407)です。

jpt407.hateblo.jp

  こないだ、このような記事を書き、「そこで、毎週学生と同じテーマで小論文を書くだけでなく、ブログでも文章を書いて、文章力を磨こうと思います」と宣言しました。

 第一弾として、「日本語教師ボランティアは、収入を得るべきか」というテーマで、自分の意見を書いてみました。800字を超えているので、留学試験の記述としては長すぎますが、書きたいことを書いていたら大幅にオーバーしてしまいました。

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 「ボランティア活動では、収入を得るべきではない」という意見がある。なぜなら、ボランティアの本質は、他人を助けることだからだ。たとえば、私は以前、ボランティアの日本語教室で日本語を教えていた。日本語教室は、経済的な理由などから日本語学校に通えない人のためのものである。彼らから授業料を徴収するわけにはいかないのだ。
 一方、「ボランティアでも収入を得るのは当然だ」という意見もある。収入がなければ、お金も時間も余っている人しか参加できないからだ。普通の人は、平日は働いている。残業もある。十分な数のボランティアが集まれるのは週末だけだ。お金がない人は、週末もアルバイトをしている。ボランティアに行きたくても行けないのだ。
 さらに、日本語教育に限っては、ボランティアが収入を受け取らないどころか、むしろ「持ち出し」になっていることすらある。一つには、教材である。手ぶらで日本語を教えることはできないが、ボランティア団体が準備した教材が足りなければ、教師個人が自腹を切って用意することもある。二つ目には、教え方の技術である。たとえ日本人でも、教え方の訓練を受けたことがない素人にとって、日本語を教えることは難しい。民間の日本語教師養成講座に通ってから、ボランティアに参加する人も存在するが、民間の養成講座は安くても50万円ほどかかる。収入を受け取らないどころか、参加する前に50万円を払うようなボランティアが、日本語教師の他に存在するのだろうか?これでは日本語教師ボランティアに二の足を踏む人がいても当然である。
 解決策の一つは、行政がボランティアを支援することだろう。少なくとも、教材費を負担し、さらにボランティア専門に簡略化した養成講座を開催し、希望者は無料で参加できるようにするのが望ましい。善意の一個人でしかないボランティアに時間と労力だけでなく、金銭的な負担まで求めるのはおかしいのだ。理想を言えば、ボランティアにある程度の報酬を渡すか、直接プロの日本語教師を雇用するのがよいと思う。そうすれば、支援対象に負担をかけずに、ボランティアの人数が増やせるだろう。
 外国人に税金を使うべきではないという意見があることは理解しているが、今や外国人は日本社会を支える貴重な労働力となっている。税金を投入する価値は十分にあると私は考える。

 

  最後の一段落、どうして日本人が納めた税金を外国人に使わなければならないのか、という意見に対する反論は、字数の制限のため、かなり省略したものになっています。これについては、また記事を改めて書こうと思います。

 最近、下の本を読んで、かなり考えが深まりました。この本についても、別に記事を書こうと思います。

外国人労働者をどう受け入れるか―「安い労働力」から「戦力」へ (NHK出版新書 525)

外国人労働者をどう受け入れるか―「安い労働力」から「戦力」へ (NHK出版新書 525)

 

 

 では、また!