ブログは日本語教師の歩く鏡である

「授業の質は上げる」「仕事の量は減らす」「両方」やらなくっちゃあならないってのが「教師」のつらいところだな 覚悟はいいか?オレはできてる

実は現在の文法シラバスは50年前からほぼ変わっていないという話

 おはようございます。日本語教師ブロガーのNicky(@jpt407)です。こないだのツイートに大きな(と言ってもせいぜい10数人ですが)の反響があったので、ここに書いておこうと思います。

 

 

 ツイートにも書きましたが、『一歩進んだ日本語文法の教え方1』という本です。

一歩進んだ日本語文法の教え方1

一歩進んだ日本語文法の教え方1

 

  この本については、以前にも記事を書いたので、そちらもご覧ください。

jpt407.hateblo.jp

  さて、文法シラバスが50年変わっていないという話は、この本の第3部発想編の1「理解レベルと産出レベル」に出てきます。

 原文はこうです。

 「産出のための文法」を考えるべきである第三の理由は、文法シラバス再編の必要性ということです。

 庵(2011)、岩田(2015)などで指摘されているように、現在の文法シラバスは遅くとも1960年代(遡れば太平洋戦争末期)にはほぼ完成しており、それから50年以上実質的には変更されていません。現在のシラバスは基本的に「文法は初級で終わり」というスタイルになっていますが、これは、当時の日本語教育の対象者が日本語教育の動機付けが極めて強い学習者(野田尚史氏の言う「日本語エリート」)であったことと強い相関があります。現在でも、中国、台湾などで日本語教育を専攻する大学には同様の動機付けの強い学習者が一定数存在しており、そうした学習者を対象とするのであれば現行の文法シラバスでも大きな問題は生じないとも考えられます。

 しかし、少なくとも、現在日本国内の大学などにおける日本語学習者の主流はそうした「日本語エリート」ではなく、必ずしも日本語学習の動機付けが高くない学習者が多数派になりつつあります。そうした学習者の変化に加え、大学内での留学生教育に対する考え方の変化もあり、これまでの日本語教育の方法を墨守するだけでは、日本語教育という分野自体がそれらの大きな変化の波に対応できない危険性が高まっています(庵2013、2014b)。文法シラバスの見直しはこうした点からも必要なのです(庵2017予定。なお、文法シラバスの見直しは、地域日本語教育や、外国にルーツを持つこどもたち、ろう児に対する日本語教育という観点からも必要です。これらについて詳しくは庵(2016)を参照してください)。

 

 以前、Twitter上で、「文法シラバスは時代遅れなのか」という論争があって、それをまとめたことがあったのですが、まさか50年前から変わっていないとは思いませんでした。

togetter.com

 

 そして、もう一つの問題点、「学習者の質が変わった」という点、これは日本語教師が日々実感していることではないでしょうか。

 もちろん、50年前の学生を実際に知っている教師は誰もいないわけですが、『みんなの日本語』などに代表される、文型積み上げ式と言われる教科書を使って教えていると、これは真面目な学習者だけを想定されて作られた教科書だな、ということがすぐにわかるのではないでしょうか。

 

 というのは、「以前教えた内容は、学生がすべて覚えている」ということが前提となって教科書が組まれているからです。以前教えた文型を使って新しい文型を教えるというシステムであるため、学習者が毎日きちんと復習をして、学んだ内容を忘れない、ということが前提になっています。

 もし、教えた内容を片端から忘れてしまう学生相手に、文型積み上げ式のテキストを使って教えようとするなら、学生にとっては、シラバス後半の内容は全く理解不能なものになり、ただ座ってぼーっと授業を聞いているだけ、という状況になります。

 私もその状況を何とかしなければならないと日々思っているわけですが、最近同じようなことを書かれているブログを見つけて心強く思ったので、シェアします。

tredecim.co.jp

 

文法や語彙を教えるとき、重要なのは導入ではなく、日を置いて何度も触れることだと思っています。

学校で教師に教えてもらったとか1日練習しただけで、その日の内容が身につく人なんてただの天才です。そういう人もいるんでしょうけど。

(中略)

ご参考までに私は昔、縦軸をみんなの日本語1課〜50課までの文型、横軸を日付としたリストを作り、どの文型に何回授業で扱ったかを把握できるようにしていました。主観にはなりますが教師の満足いくレベルで文型が使えるようになった時、二重丸がついてやっとその文型に触れるのが終わるという形です。

 

 また「一歩進んだ日本語文法の教え方」の話に戻ります。

 興味深いのは、「日本語学習者の主流は日本語エリートではなく、日本語学習の動機付けが高くない学習者が多数派になりつつあります」という文章が、日本語学校の教師ではなく、大学教授によって書かれたことです。一般論になりますが、留学生の中でも、大学に行ける人たちはごく一部の真面目で優秀な「上澄み」だと思われています。もしその「上澄み」ですら「日本語エリート」ではないとするなら、ましてや日本語学校の学生は・・・ということになります。

 

 現在の留学生が教科書についてこられないのも、ある意味当然の結果かもしれません。

 

 ただ、残念なことに、この問題に対する具体的な解決策がこの本には書かれていません。「2017予定」と書かれているので、その新刊を待つしかありません。

 

 

 ちょっと別の話になりますが、同じ庵先生が書かれたこの本にもちょっと興味を持っています。本屋でちょっと立ち読みしただけですが、実際の日本語母語話者による使用例のデータをもとにして、「この文型は重要」、「この文型は理解できるだけで使えなくてもOK」と分析されていました。

データに基づく文法シラバス (現場に役立つ日本語教育研究1)

データに基づく文法シラバス (現場に役立つ日本語教育研究1)

 

  たとえば、『みんなの日本語』の32課に出てくる推測の「でしょう」ですが、「主に天気予報などで使われるだけで、実は一般人が会話で使うことは少ないので、初級で教える必要性はない」と書かれていました(うろ覚えなので、間違っていたらすみません)。

 

 とても面白いと思ったのですが、二つの理由から購入を見送りました。

 一つ目は、単なる資金不足。日本語教師の安月給では、そんなに気軽に専門書を買うわけにはいきません。

 二つ目に、末端の日本語教師にとって、読んでも活用できないということ。上の例でいえば、「『でしょう』は初級では必要ではないので、教えないようにしましょう」と一介の教師が決められるわけがありません。もし自分の授業で教えないようにしても、テストには出るので、結局困るのは学生です。

 また改めて書こうと思いますが、教育にはいろいろな理想論がありますが、結局テストに縛られざるを得ません。「こんな教え方をしていても、実際の社会に出たら役立たないよ」、「こんな教科書、こんなシラバスはダメだよ」といくら教師が思っても、テストが変わらないうちに授業を変えて、学生が合格できなくなったら、それは教師の責任です。まずテスト(日本語の場合は、日本語能力試験)を変えてもらうしかありません。

 

 長くなりました。次はもっと短く書こうと思います。では、また!