日本語教師3.0

「授業の質は上げる」「仕事の量は減らす」「両方」やらなくっちゃあならないってのが「教師」のつらいところだな 覚悟はいいか?オレはできてる

作文の意義って、生徒理解と表現の自由だと思う

 こんばんは。日本語教師ブロガーのNicky(@jpt407)です。

 

原稿用紙

作文の意義とは

 朝、作文の記事を書いたので、私なりに考える、「生徒に作文を書かせる意義」を書いてみようと思います。もちろん、書くトレーニングというのが本来の目的ですが、それ以外の点についてです。

 

1.生徒を理解する

 作文の目的において、書くトレーニングという本来の目的以外で、いちばん大きいのは、この「生徒を理解する」ということじゃないかと思います。「生徒を理解する」はさらに二つに分かれます。

1-1.生徒の状況を把握する

 わたしが、「日本へ来てから」という作文を書かせたのは、もちろん教えた「なります」を練習してほしかったというのが最大の目的ですが、それ以外に、来日1か月半の学生の状況を知りたかったから、というのがあります。もし何か問題があったら、書いてくれるかもしれません。だいたいみんな順調そうで、安心しました。

jpt407.hateblo.jp

 

 1-2.生徒の性格や好みを知り、授業に役立てる

 教師が生徒を理解したほうが、間違いなくいい授業ができます。特に、語学教師はそうです。たぶん、数学とか理科なら、生徒の興味に関係なく、決まった内容を教えなければならないと思うんですが、語学の授業は比較的自由に生徒の興味に寄せられます

 生徒の情報だったり、興味を持っていることだったりを例文にするとか、雑談にするとかで、生徒の目の輝きは全然違います。ただ、授業の中で、一人一人に「○○さんは何が好きですか」と聞いている時間もないし、恥ずかしがって正直に答えてくれません。作文とか、普段のおしゃべりとかで学生の性格や好みを把握して、それを授業に生かすようにしています。あ、もちろん、その学生が他の学生に知られたくないことは使いません。

 

2.生徒のリミッターを外してあげる

 授業中はいろいろな意味で、生徒にリミッターをかけている状態だと思います。それを外してあげるのも、作文の意義だと思っています。

2-1.未習語彙、文型のリミッターを外す

 たとえば、よくできる学生は、教科書よりもっと難しいことを勉強しています。でも、教室でそれを使うことはできません。よくあることですけど、できる学生に自由にしゃべらせたら、他の学生が置いてけぼりになってしまうからです。 

jpt407.hateblo.jp

  だから、どうしてもよくできる学生にはできるだけ未習語彙や文型を使わないように、我慢してもらうことになるんですが、それってよくできる学生にとっては、高速道路で交通渋滞につかまったような気持ちだと思うんですよ。「自分はもっと速く走れるのに、どうしてこんなにゆっくり走らなければならないんだ」と。

 

 作文だったら、そういう遠慮はいりません。少なくとも、私なら、未習語彙だろうが文型だろうが、使ったら、「よく勉強していますね」とコメントをつけます。

 自分の知っていることを何でも書いていいし、知らないこともどんどん調べて書いていい、これはやる気のある学生ほどうれしいことだと思います。

 上のツイートに対する引用リツイートです。

 

2-2.自己表現のリミッターを外す

 同じように、学生は授業中に自己表現にもリミッターをかけているんじゃないかと思います。たぶん、「これを言いたいけど、恥ずかしい」、「他の人にこの話題が通じるかどうか、わからない」などの理由から、授業中にはあまりしゃべってくれません(もちろん、例外もいますが)。

 でも、前にモウモウさんも書いていましたが、基本的に、学生は自分のことを話したいんだと思うんですよね。間違いなく。

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  だから、作文でいろいろ気にせずに、自分が思うことを思い切り吐き出させてあげるのも大事だなと思います。

 

 そういえば、少し前に、この記事が話題になりました。

bonpublishing.wixsite.com

世界の中心で叫びたくはないが、私は腐女子(注1)である。いつから自分が腐っていたか記憶は定かでなく、BL(注2)がまだ“やおい(注3)”と言われていた小学校高学年の頃には、すでにやおい好きだった。友達がかっこいい先輩や同級生との甘酸っぱい初恋を夢見ている頃、私の興味関心は、すでにすっかり禁断のソドム(注4)の中にあったし、現在では貴腐人(注5)と言っても差し支えないと思う。

自分が好きなことは、自分以外の誰かに教えられたくない。でも、誰かに伝えたい。そんな複雑な心理がファンにはある。「教室では教師が教える」という既存の型を取り払い、教師が学習者からサブカルを学ぶクラスがあってもいいと思う。そんなクラスで、私は英語を勉強したい(笑)。

 インターネット上では賞賛一色でしたが、もしこういう授業を実際にやったら、絶対に失敗すると思います。と言うのは、クラス全員が同じ趣味だとは限らないからです。私も、「教師が学生から学ぶ」という点については大賛成ですが、それについて知らない大多数の他の生徒が、「あいつ何を言っているんだ」となった時点で、クラスに冷たい空気が流れてしまいます。私も苦い経験が何度かありますが、一生懸命しゃべっている学習者を止められないし、他の学生は白けて別のことをし始めるし、本当に大変でした。だからこその作文です。

 

 最近、この本を読んで、すごくいいなと思っています。 

「自己表現活動」を取り入れた英語授業

「自己表現活動」を取り入れた英語授業

 

  作文ではないですが、やはり自分に関係のあること、教科書の架空の設定ではなく、現実にあることを話題にすると、それだけで盛り上がるんですよね。たとえば、昨日「~と、~」の授業で、「クラスメートを学校からあなたの寮まで案内してください」という課題を出しました。最後に一人を前に出して、他の人が「まっすぐ行くと、~があります」などと言うのをもとに黒板に地図を板書させ、寮まで行けるかどうかやりましたが、すごく盛り上がりました。教科書の架空の地図を使うのとは、学生のやる気が全然違いました

 やはり、自己表現は大事だなと思いました。

 

 新人が偉そうなことを書きました。よかったら参考にしてください。

 

 では、また!