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日本語教師3.0

「授業の質は上げる」「仕事の量は減らす」「両方」やらなくっちゃあならないってのが「教師」のつらいところだな 覚悟はいいか?オレはできてる

「○○は英語で何て言うの?」なんて勉強法で、語学がうまくなるの?

 おはようございます。日本語教師ブロガーのNicky(@JPT407)です。

 

 本来、日本語教育以外のことは専門外なんですが、ずっと気になっていることがあるので書きます。

 

「○○は英語で何て言うの?」という勉強法は正しい?

 本屋へ行くと、よく「○○は英語で何て言うの?」というような本を売っているんですが、そういう勉強法は役に立つんでしょうか?私はかなり疑問に思っています。

 「そもそも英語にはそんな言い方はない」「訳せたとしても、意味不明な英語になる」ということはないんでしょうか?

 

言語と文化は切り離せない

 私は昔、中国語を勉強していました。中国語の会話集には、「はじめまして」を”初次見面”と言う、と書いてありました。しかし、実際に使ってみたら微妙な反応でした。

 後で知った話ですが、中国人や台湾人は、初対面でも”你好”を使うそうです。日本語の「はじめまして」に当たる、最初に会ったときだけの特別な挨拶はないんですね。

 

 逆に、日本語を勉強している台湾人の日本語に、違和感を覚えたこともよくあります。例えば、「ご飯を食べましたか」という表現。ふだん会ったときも、「ご飯を食べましたか」と聞いてきます。どうして台湾人はみんな、人がご飯を食べたのかどうか気にするのか、ずっと不思議でした。

 後で知ったんですが、中国語の”吃飽了沒?”(ご飯を食べましたか)は、「こんにちは」と同じような使い方をするそうです。

 

 ”初次見面”も「ご飯を食べましたか」も、文法的には完全に正しいです。

 しかし、ネイティブが聞いたら、「?」となります。

 

 もう少し例をあげます。中国語ネイティブが言う「給料はいくらですか」、「結婚していますか」も、普通の日本人が聞いたらムッとします。中国語ではこういう質問はよくあるので、中国語をそのまま日本語に訳していると思えば、あまり気にならないんですが。

 

 共通するのは、「文法だけ正しくても、適切な言語使用とは言えない」ということです。

 

 言語は文化と密接に結びついているため、相手の文化を学ばずに、相手の言語だけ学んで、母語で発想してそれを翻訳したとしても、奇妙な言葉になってしまいます

 そういえば、最近通訳が「忖度」という単語を英語に翻訳できないと言って話題になりました。

www.huffingtonpost.jp

 あれもしょうがないことだと思います。そもそも英語圏には「忖度」という文化がないので、対応する単語がないのも当たり前だからです。

 

 私は日本語教師として、毎日たくさんの日本語学習者を見ていますが、日本語がなかなか上達しない人は、どうしても母語で考えて、それを日本語に翻訳する習慣から抜けられない人が多いようです。私は学生の母語が分かるので、日本語を見ても、「母語でこれを言いたかったんだな」という元の文が透けて見えてしまいます。

 逆に、うまくなる人は、発想の段階から日本語で行っています。あるいは、どこかで見た日本人の日本語をそのままコピーして、一部変えたりしている人もいます。日本語の作文を見ると、手本にした日本人の日本語が透けて見える感じです。

 

結論

 結局、外国語の学習は、「母語を忘れて、とにかく学習言語を大量にインプットし、それを真似して、自分でもアウトプットできるようにする」ことではないかと思います。その意味で、シャドーイングはとても大事だと思っています。

 逆に、「○○は英語で何て言うの?」という勉強法は疑問ですね

 では、また!

翻訳できない世界のことば

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