ブログは日本語教師の歩く鏡である

「授業の質は上げる」「仕事の量は減らす」「両方」やらなくっちゃあならないってのが「教師」のつらいところだな 覚悟はいいか?オレはできてる

直接法でも、間接法でもない、「半間接法」という可能性

 おはようございます。日本語教師ブロガーのNicky(@jpt407)です。

はじめに 

 昨日、こんな記事を書きました。

jpt407.hateblo.jp

 その中で、「今はまだ、自分なりの答えを出せていないので、情報をシェアするだけです。まず、みなさんでも答えを考えてください。1日2日で答えが出るはずもない問題なのですが、私もまた答えが出たら、改めて書こうと思います。」と書いたばかりなのですが、さっき気になるツイートを見たので、現時点での認識をシェアしようと思います。

 

 

厳格な直接法の問題点

直接法のベテラン教師は「マジシャン」

 昨日紹介したこれらの記事の中では、直接法のベテラン教師が「マジシャン」と表現されていました。

storys.jp

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 これは非常にうまいたとえだと思います。私も、ベテランの授業を見て、そう思ったことがあります。直接法のベテランの授業は、まさに名人芸です。

 

では、「マジシャン」ではない教師はどうするのか?

 ただ、問題は、私を含め、新人はマジシャンではない、ということです。直接法は学習者の直感に依存する教授法なので、未熟な教師が教えた場合、理解に時間がかかるか、下手したら、文法項目を誤解したり、さらには理解できないことすらあります

 導入が難しいところとして、『みんなの日本語』第29課、状態の「~ています」を例にとります。

 公式のガイドブック『教え方の手引き』にはこのように書かれています。

教師: (教室の窓を指して)窓が閉まっています

学生:???

教師: (天井の電気を指して)電気がついています

学生:??????

教師: (開いているかばんを指して)かばんが開いています

学生:?????????

 

 こんな説明で、「~ています」の意味が分かりますか?

 

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  直接法でやっている先生はみんな経験があると思うんですが、もし、学生の母語による発言まで禁止する厳格な直接法だと、ここで行き詰ってしまいます

 学生に「~ています」を理解してもらうためには、学生のひらめきを待つしかないので、もう一度導入を最初から繰り返しますが、それでもわからない学生がいます。

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直接法が破れた瞬間

  もちろん、ベテランなら、直接法でももっとうまい導入を使って、こういう状況を避けられるでしょう。だからこそ、「マジシャン」と呼ばれるわけです。

 ただ、未熟な教師が直接法で導入で失敗してしまった場合、次に打つ手がありません。ただひたすら、導入と、簡単な日本語しか使えない説明を延々と繰り返すだけです。とても不毛な時間です。

 私も、何回かそういうことがありました。

 

 そのとき、見るに見かねた学生が、母語で「助け舟」を出してくれました。「~ています」はこういう意味ですよ、と、分からない学生に、母語で説明してくれたのです。

 問題は一瞬で解決しました

 

 私はそのとき、学生の母語での発言まで禁止するような厳格な直接法は、非効率なのではないかと思い始めました。

 

 ほかの先生も同じような体験をしているようです。

 

アクティブラーニングとの共通点

 そんな体験をしたとき、私の頭の中で、日本語学校の授業が、公教育のアクティブラーニングと結びつきました! 

  アクティブ・ラーニングとは、課題の発見・解決に向けた主体的、協働的・創造的な学びであり、習得・活用・探求という学習プロセスに沿って自らの考えを広げ深める対話を通して、多様な汎用的能力を育てる学習方法である。

  特に「協働的」というのがポイントです。

 

 私は、特に初級において、学生の母語まで禁止するというのは、この「協働的」という要素を排除するものだと思います。初級の学生は、自分の考えを日本語で表現できる能力がなく、周りの人と協力して学ぶことができないからです。たとえば、さっきの「~ています」の例で言えば、勘のいい学生は、「なるほど、『~ています』は『状態』だな」と気がつくでしょう。しかし、まだ日本語でそれを表現できないので、周りの学生とその学びを共有することができません

 

 ですから、厳格な直接法なら、「わかる学生はわかる。わからない学生は永遠にわからない」という状態が放置されてしまいます

 わからない学生を助けるのに、一番早いのは、別のわかった学生が母語で助けることです。

 

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 もちろん、学生が母語を使用することに対して、批判もあると思います。たとえば、「日本語で発話する機会を減らす」、「翻訳から抜け出せない」などなど。

 私も、直接法ですべての学生が理解できれば、それがベストだと思います。しかし、現実にはそれが不可能な時もあります。そのとき、わからない生徒を置き去りにして、その文法項目を切り上げてしまうより、たとえ間接法というセカンドベストでも、全ての学生に理解させるほうがいいのではないでしょうか?

 

 私は、この教え方を、自分の中で「半間接法」と呼んでいます。教師は日本語しか使いませんが、学生どうしで母語を使うことは禁止していないからです。もちろん、正式な用語ではないので、検定試験には出ません(笑)。

 

半間接法のやり方

 半間接法の具体的なやり方です。基本的には直接法と同じです。

1.教師はすべて日本語

 教師は日本語以外話しません。ここは直接法と同じです。

2.意図的に学生どうしの話し合いを入れる

 導入の後など、学生どうしの理解に差が出そうなときは、隣の学生と話し合わせます。理解が遅れている学生は、ここで他の学生に追いつくことができます。

3.学生の母語による発言を禁止しない

 母語の使用は、奨励しませんが、禁止もしません。当然、初級なら母語でのおしゃべりになりますが、それには目をつぶります。

 

 学生どうしのおしゃべりというのは、特に目新しいことではないのですが、それを禁止するのではなく、積極的に奨励する、しかも、タイミングを決めて、というのがポイントです。

 

 半間接法のメリット

メリット1 取り残される学生が少なくなる

 半間接法のメリットです。まず、最大のメリットは、取り残される学生が少なくなる、ということです。わからなかったところは、母語で隣の学生に質問できますから。特に、導入がまだまだ下手で、「何回言ってもわかってもらえない」と悩んでいる新人の先生には、役立つと思います。

 ひょっとしたらベテランからは、「直接法でも、教師が自分の責任ですべての学生に理解させなければならない。母語での質問なんか教師の責任回避だ。」と言われるかもしれません。確かにその通りです。半間接法は、無責任かもしれません。教師の成長は大事です。しかし、もっと大事なものは、学習者の学習です。新人教師がマジシャンに成長するまでの間の学生は、いったいどうすればいいのか? 私はずっと気にかかっています。

 

メリット2 教師が日本語しか話せなくても実行できる

 二つ目のメリットは、本当の間接法と違って、教師が学生の母語を話せなくても実行できる、ということです。教師自身が学生の母語を話すことはないのですから。

 

メリット3 多国籍クラスでも使える

 三つ目のメリットは、本当の間接法が使えないような多国籍クラスでも使える、ということです。たとえば、中国人と韓国人、ベトナム人が混在するクラスがあるとします。本当の間接法なら、中国語、韓国語、ベトナム語のどれを使っても、不公平になります。英語を使っても、英語がわからない学生にとっては不公平です。しかし、半間接法なら、中国人は中国人と、韓国人は韓国人と、ベトナム人はベトナム人と話合わせればいいだけなので、不公平は起こりません。たまに、私語を禁止するために、わざわざ同じ国籍の学生どうしの席を離す、という話を見ますが、それはむしろ非効率的なのではないかと思います。

 

メリット4 学生が退屈しない

 四つ目のメリットは、学生が退屈しない、ということです。先生が一方的に学生に教える、というスタイルでは、学生は退屈します。もちろん、日本語教育では、できるだけ学生に授業に参加することを求めますが、どうしても導入や説明のパートでは、できる学生だけが教師に反応し、他はただ聞いているだけ、という状況が起こります。半間接法では、授業の合間に頻繁にペアワークを取り入れ、隣の学生と話し合わせるので、退屈する暇がありません。

 

半間接法のデメリット

デメリット1 私語が増える

 半間接法のデメリットです。まず、学生が本当に学習内容について討論しているのか、ただの私語なのか、先生から見てもわからない、ということです(笑)。これは、日本語教師特有のデメリットですね。まあ、言葉がわからなくても、様子を見れば勉強しているか、遊んでいるかだいたいわかると思うんですが。

 

 デメリット2 学生が真剣に聞かなくなる

 二つ目のデメリットは、できない学生が、「どうせ後で母語で他の学生に質問すればいい」と思って、教師の話を真剣に聞かなくなる、ということです。これは、正直どうしようもないことだと思います。ただ、教師はそれが本当に悪いことなのか、考え直す必要があるのではないでしょうか。

 教師には、「教えたい欲求」、「学生を純粋培養したいという欲求」があります。学生には勉強しろと言うものの、できれば自分の授業、学校で使う教科書だけで学んでほしい、という隠れた欲求があります。もし学生が、学校の外で、塾、参考書、インターネットなど、自分には関係のないリソースでどんどん学習を進めていったら、喜ぶどころか、むしろ不愉快に思う傾向があります。これは私自身も否定できないことです。授業で、先生の説明を聞かずに、他の学生の説明に頼るのを不快に思う、というのも同じことだと思います。アクティブラーニングを否定して、一斉授業にこだわる先生の根底にも、そういう気持ちがあると思います。ただ、それは本当に正しいことなんでしょうか?もし学習が進むなら、どんな方法を使ってもいいのではないか、と私は思います。

 

デメリット3 できる学生にとっては時間の無駄?

 三つ目のデメリットです。、できる学生はもう理解しているので、他の学生と話し合わせるのは時間の無駄なのではないか、ということです。これについては、最近読んだ本に答えが書いてありました。

 学習者間のインタラクションに関して教師が最も懸念するのは、おそらく学習者の習熟度であろう。習熟度が低い学習者同士がアクティビティを行っても、学習につながるのだろうか。習熟度が高い生徒と習熟度が低い生徒を組み合わせても、お互いのためになるのだろうか。この分野において、2種類の比較研究がある。1つ目は、習熟度が異なる組み合わせ(高と低)と習熟度が近い組み合わせ(高と高・低と低)を比べたものである。多くの研究が習熟度の異なる学習者を組み合わせたほうが学習につながるとしている。この結果は社会文化理論における助け合いの考えによって説明される。つまり、知識の差が熟達者―初心者の関係性(ZPD)を作り出し、お互いの学習に貢献しあうのである。この場合、習熟度の高い方の学習者も習得が進むと報告されている。

『実践例で学ぶ第二言語習得研究に基づく英語指導』

実践例で学ぶ第二言語習得研究に基づく英語指導

実践例で学ぶ第二言語習得研究に基づく英語指導

 

 

  また、アクティブラーニング推進派によく使われる図に、「ラーニングピラミッド」というものがあります。

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 これは、「講義を受けているだけでは5%しか定着しないが、グループディスカッションでは50%、人に教えた場合では90%定着する」というものです。

 

edupedia.jp

 三つ目のデメリットは杞憂だと思います。

 

デメリット4 間違った知識が広がるのでは?

 四つ目のデメリットです。学生に学生を教えさせると、誤解された知識が広まるのではないか、ということです。自分では「わかる」と思っている学生が、実は誤った知識を他の学生に広める可能性があります。しかし、直接法なら、誤解は広まらないでしょうか?確かに、教師の頭の中には正確な知識があって、それを学生に伝えようとしています。しかし、直接法の場合、どんなに導入が正しい形で行われても、それが学習者によって誤解されて受け取られてしまう、という危険性があります。

 たとえば、「~てはいけません」を教えているつもりなのに、学生は、「~ないでください」という意味だと間違って理解するかもしれません。

jpt407.hateblo.jp

  たとえ教師が教えても、学生は誤解するかもしれない。そう考えれば、「学生に学生を教えさせると、誤解が広まるかもしれない」というのは杞憂なのではないかと思います。

 

最後に

 ここに書いたことは、すべて私の個人の体験に基づくことです。ですから、教育理論の理解などについて、間違いがあるかもしれません。書いていることも、ベテランにとっては常識かもしれません。ひょっとしたら、論文で研究されつくした話題かもしれません。ただ、自分にとっては大きな発見だったので、書いてみました。

 

 では、また!

 

 続編を書きました。

jpt407.hateblo.jp